WOODSTOCK MOUNTAINS SOUL RECORD
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WOODSTOCK-M
ウッドストック エム
代表 谷 守人
プロフィール
ご挨拶
LAST UP DATE 2024/2/16

この度、アナログ・ミュージックと山を融合した新感覚のオンライン・モール
「WOODSTOCK-M」
をオープンいたしました。
ここまでの40年余の道のりを!
(↑2003年北岳にて)


第1章 ルーツ 
1960年千葉県佐原市(現:香取市)に生まれ、江戸崎、潮来、そして1972年石岡市に移住現在にいたる。
私と音楽との出会いは,1970年代後半,高校生の時に初めて買ったレコードであるBOB DYLANの「セルフ・ポートレイト」を聞いた時に遡ります。
当時流行していたクイーン、ベィ・シティ・ローラーズや王道ロックのザ・ビートルズを聞くよりも
ディランの独特なダミ声,そしてラップの先駆とされる曲調に傾き、どれも高校生の僕にとって新鮮でした。僕の周辺でもDYLANを聞く人などいなくちょっと鼻高々で、音楽に囲まれた青春時代が始まりました。

『BOB DYLAN/セルフ・ポートレイト』
※但し、セルフ・ポートレイトは、ダミ声ではなくソフトな歌声、収録曲の大半がトラデショナル・ソングやエヴァリー・ブラザーズ、サイモン&ガーファンクル、ゴードン・ライトフットなどの他人の作品からなっているDYLANとしては、異色の作品であるが、初の全米NO1ヒットとなる
その後、高校自由登校の時に、地元最大手のレコードショップ「光美堂」の桜井社長にもうアタック!すごい倍率だったレコ屋で念願のアルバイトを始めることになりました。
←奥多摩ドライブにて
左から桜井社長、キム、谷、蛇笏
←デヴューほやほやの柏原芳恵ちゃん(1980/10/13ホテルパシフィック東京)
バイトは好きな音楽を聴きまくりました。時には、取引先の招待で毎年スタッフと品川のホテルパシフィック東京に行きデヴュー当時の松田聖子や河合奈保子など多くのアイドル歌手達を間近で見る事ができました。

毎月のホコ天ではお店のイベントとしてレモンパイ、チャダ、清水由貴子、松村和子、真木ひでとといった当時のヒットチャートを賑わしている様々なジャンルのアーティスト達をよんで音楽イベント興業を体験することもできました。
↑『清水由貴子/ほたる坂から』

まさに音楽三昧、楽しいひとときを過ごしました。
特にそこのスタッフの前島さんは、洋楽ライターのように詳しくて,僕の音楽人生に最大限の影響を与えてくれた人でした。それ以降どんどん音楽の迷宮にはまった。そして生活の一部となっていきました。
←ゴメン誰?名前忘れました
(1980/10/13ホテルパシフィック東京にて)
前島さんはその後独立「AMBUSH 」という中古レコード店を開業した。


又、地元を代表する老舗レストラン「キッチンさくら」の初代バイトとして活躍していたときの店のオーナーシェフの高山さんは、料理人としての腕前は、もちろんミシュラン3つ星級でありながら音楽の知識も豊富でバイトをしながらいろいろと教えて頂きました。
そんな音楽漬けの学生時代にいつかはレコードショップをを開きたい。そういう夢を持ちながらの4年間でした。しかし就職を迎え、厳しい現実に目を向けて1982年まさかの40年間務めるサラリーマン人生がスタートしました。
第2章 ドリーム
それよりも少し前にさかのぼりますが、1970年代はじめ、渋谷百軒店は、ロック好きの若者たちのカルチャースポット。ブラックホークやBYGのようなロック喫茶が流行っていました。
そんな時代に憧れもあったがも気がつけばブームは去り行きたいと思っていた店は次々と閉店し過去の出来事となっていました。
MUD ACRES
『WOODSTOCK MOUNTAINS』
当店の看板レコード,ウッドストックの名盤です


店名のウッドストックについてご説明させていただきます。
ウッドストックといえば1969年のwoodstockフェスティバルやLOVE&PEACEなどの単語がまず頭に浮かぶことでしょうが、
ウッドストックは、ニューヨーク州郊外スター郡にある人口5000人にも満たない小さな町。
19世紀に都会に疲れた画家たちが自然豊かで
長閑な風景に魅せられてコミュニティを形成したのを始まりに数多くのアーティストがこの街に居を移しアーティスト・コロニーを作っていきました。

ロック界ではボブ・ディランのマネージャーだったアルバート・グロスマンが移住したのをきっかけに60年代半ばから、ボブ・ディランをはじめザ・バンドのメンバーやジェフ・マルダー,ハッピー&アーティのトラウム兄弟,ボビー・チャールズ,ジェシ・ウインチェスターなど数多くのミュージシャンたちがレコーディングを行っていった。

WOODSTOCKとは世界中の音楽の良心たちが奏でる愛すべアメリカン・ロックの聖地といえるところでいつかは、私も加わりたいと思っていました。

第3章 人生観を変える出来事
又、山登りのきっかけは、
忘れもしない1995年阪神大震災が発生した時です。
インフラのストップした被災地の状況リアルタイムで見ているうちにいつしかアウトドアの必要性を感じていきました。
まずは、一念発起!テントやバーナー,寝袋道具をそろえ嫌がる家族を強引に誘いオートキャンプデビューしました。
始めて間もなくキャンプ場周辺の大自然の景観に目がひきつけられました。
←2,013年7月の北アルプス表銀座縦走時
東鎌尾根での谷隊長いや谷代表
そして奥久慈の上小川キャンプ場に行った時の事です。そこでの男体山をはじめとした奥久慈の雄大な山々を見ているうちに、無性に山に登りたくなりました。
その衝動を抑えきれず今度は、山用テント,ザック,ウエアなどマウンテンギア一式をそろえその年から一人で登り始めるようになりました。

← 僕の人生観を変えた山のひとつ 北岳のテン場にて

全くの自己流で始めた登山です。経験も体力も、もちろん知識もありません。


2004年4月の霞ヶ浦マラソン伴走ランナーで出場したときの記録証。


何年も登る内には、苦しく遭難しかけた時もありいま必要なことは、体力作りからと、トレーニングの一環で始めたジョギングがやがてマラソン大会に出場することにまでなりました。

その後の山登りも修羅場をくぐり抜けてきながらもやめずにつづけている。


そして低山から始まった山登りですがいつの間にか日本アルプス、富士山,そしてイギリス、ヨーロッパアルプスまで足を運んでいく事になりました。

ソウルオリンピック出場の経歴をもつ中山 竹通(なかやま たけゆき)氏と。

イギリスwansfell pike(482m)の山頂からウィンダミア湖
気が付けば30年近くの歳月がたち登った山も500座を越えました。
そして山は、登った回数だけの違った景色を見せてくれた。それは、様々な人たちとの出会いもである。
山での様々な経験は、登るたびに私の人生観をも大きく変えてくれました
。それらの事がいまでも私を山に導いてくれているのだと思う。
第4章 そして人生、転がる石のように
そんな思いを胸に人生を過ごしてきた60年余
長年の夢から野望に変えるべく、サラリーマン人生40年を過ごしました大変お世話になったメディセオ(1982年当時潮田薬品)を思い切って退職しました。

そしてアメリカン・ロックの聖地WOODSTOCK
さらに世界中の音楽の良心たちが奏でる愛すべきGOOD TIME MUSIC と過ぎ去りし70年代ロック喫茶
それら青春時代のアナログミュージックとその後の私の人生観を変えた山岳との融合をついに実現し
ここオンラインにてWOODSTOCK-Mを、
オープンいたしました
土浦の老舗レコード店
とうごうレコード


尚、開店にあたり、とうごうレコードの東郷社長と奥様には大変お世話になりました。
とうごうレコード、東郷社長の出会いがなければ
開店できなかったかもしれません。
本当にありがとうございました。

LOVE&PEACE
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人生”転がる石のように”

2023年4月3日

WOODSTOCK-M
代表 谷 守人
中央学院大学時代、上越土樽でのキャンプ